ため池
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 小さな ため池があって、その向こうに屋根のとがったサイロがあった。 近づくと、壁は いたるところモルタルにヒビが走り、古びて少し傾いていた。 2階に登るための かねのはしごが、 ぶら下がるように そと壁に張りついていたが、それは小さな子供が足をかけても 今にもくずれ落ちそうで危なっかしい物だった。 何回かスリルを感じながら それを登った事を覚えている。 2階には、ただのわらクズが、無造作に積まれていただけのようだった。 ひとりであたりをぶらついているときに、まぶしい天空の世界と この地上とを結ぶ たった一つの朽ち果てた か細い かねのはしごが、宙に浮いたように たよりなく壁にとまっていた、あの ふるさとの光景を 今でもよく思い出す。

 傾いたサイロの手前の あの小さな池のまわりには、花しょうぶがはえていた。 時々 あひるも何匹か 泳いでいたような気がする。 そのうち当たり前のように埋め立てが始まって、池の端のほうには いつのまにか埋め立て用の赤土の山が、できてしまっていた。 赤土の山は、半年か一年くらいそのままに放置されて 子供たちの格好の遊び場になった。 見る見る変わる風物をいとおしむように 子供たちは、体を張ってもっぱら小さなトンネルをほったり 斜面を利用して尻で滑ったりして、それはにぎやかに遊んでいた。 確か池の向こうには、サイロの他に炭坑住宅のような物が建っていて このあたりで働く人々の家族が、住んでいたような記憶がある、もちろん近くに炭坑などはなかったはずだけれど。 埋め立てが始まる少し前だろうか、見慣れた人々の顔は、古びた家並みといっしょに いつのまにか消えてしまった。 その跡地には 学校のような物が、できつつあった。

 池の土手に杉か ひのきの防風林が、薄く列を成していて 風の名前や種類のことを おもいめぐらしているのだろうか、ひっきりなしにゆれていた。 風の仲間には、世界の果てまで見てきた者も きっといたはずである。

 人々が去り、古い長屋や傾いたサイロは消えても、まだあの小さなため池は、半分ほど残っていた。 向こう側一面、役に立ちそうにない古い屋根瓦が、上から地面に投げ捨てられ まだ使えるやつは、何段にもきっちり重ねて積み上げられていた。 柱やはりの白っぽくて使えそうな古材木は、あらかたどこかへ持ち出され、もう一度別の土地で民家の骨組みになったり、クギや汚れを落とされて 薄いせんべいのように 機械でりきざまれて紙の原料のチップになったりしたかもしれない。 最後には、やっぱり火にくべられて 燃やされたんだろう。俺達は、取り残されたゴミの下の鉄くずや 家で使えるクギを集めながら あたりをうろついて遊んでいた。

 池のそばに置き去りにされたままの 建物の解体くずのなかには、戸板のような物とか柱の残がいとかが、ちょうど良い いかだの材料になった。 そして たいがい遊ぶ相手は、俺たちが童謡を口ずさむときよくでてくる歌詞の一節、あのこはだあれだれでしょね、 なんなんなつめの はなのした、お人形さんと遊んでる、となりのみよちゃんじゃないでしょか、 ・・・という歌詞の中にでてくるのとおなじ、隣のけんちゃんだった。 2軒長屋の俺んちの隣りに、健一という名のけんちゃんが住んでいた。 俺より歳が一つうえで、がらはふつうより大きめで ふっくらとしていて、性格も優しく少しもいじめられることなく、弟分として仲良く遊んでもらった、あのころが本当になつかしい。

 その日は、雨がふっていた。 さて、どれが誰のいかだというわけでもないが、ふたつかみっつ、いや せいぜい いかだらしき物はふたつだろう、けんちゃんがいいほう、からだが少し大きいので いかだも立派なほうでないと沈んじまう。 俺のほうは、これから戸板の下に木切れをいっぱいつめこんで 沈まないようにしなくっちゃならない、いそがしい。

 本物のいかだのように 縄でちゃんとしばるわけでもない。 うまくこぎ出すためにバランスこそが大事である。 どこに足をかけるかで あっというまに傾いてしまってうまく浮かばない。 おまけに雨の日に傘をさして乗ったもんだから,やっぱりひっくりかえって池に落ちた。

 本能だろうか、不意に水の上に投げ出されるとき、手足を伸ばして体を精一杯広げて 少しでも水面に立ちあがろうと 無駄なことをする。 首まで水につかって どうやら足が 底にとどいたようで、ほとんど泳げなかったが、おぼれるような心配はなかった。 あたりには、バラバラになったいかだもそうだが、わらよりもはるかに頼りになる材木が、いっぱい浮かんでいたからだ。 雨も降っていることだし、着ているものが濡れたって、この際どおってことはないと思って、再度挑戦する事にする。 岸から少し離れると 底の軟らかい泥に竹のさおを取られ危ない事になる。 そんなことよりも何よりも まっ先に頭にあることは、半分ゴミ捨て場のような汚さを通りこして この池の底のまっ黒な中に ヘドロか何かを食って生きている え体の知れないばけものなどは、まずいないにしても 割れたびんや先のとがった危ない物が、わんさと詰まっているはずだから、ということだ。 それを思うと身体の芯からぞおっと冷えてきて、そばのがれきの上に腰を落として、小さくうずくまって体がぬくもるのを待った。 ゆらゆらしている池の上のけんちゃんは、もともといい感をしているので、あいかわらずおだやかな表情で いかだをこいで遊んでいた。

 へっぴり腰でいかだに乗り移り、右足をじっと見ると右側に沈み 左足をじっと見ると左側に沈む、というぐあいになる。 こりゃ頼りないなと思っているうちに、ぽろぽろっと戸板の下の木片が、いくつかぬけ出し乗り手を支えきれなくなると、緑がかった灰色の水の中へ、あれよあれよと沈んでいく、あっという間の出来事だ。 ふんばった方の脚は、伸びるだけ伸び切って、からだをまっすぐ立て直そうとすればするほどバランスを失い、ついに2回目も いかだからほうり出されるようにして池にはまった。 とにかく、いかだ遊びは、水の上にぷかぷか浮いて 得体の知れない池の中ほどへくり出していくという、おっかなさが面白くてたまらなかった。

 だいたい、これだけ人に見放され、無視され、水の出入りもなくなったため池は、ボウフラなんかがいっぱいわいて 人に逆襲することになるのだろうから ないならばないほうがいい。あるいは、いつまでも人の目につかなければ もっといいだろうにな。

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