ねこ
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BOY011.JPG - 42,665BYTES

   夏とかで 雨の強いときには家に居て 軒先とかそこらじゅう水けむりが上がっていた。窓を少しあけて 半分明るい外をながめていると ふわふわとその煙が、家の中までただようのがわかる。ブリキの雨どいもあるにはあったようだが 錆びて穴があいていたり 子供らが遊んでこわれて たれさがったままであったりで あまり役にはたっていなかった。
 屋根がわらに降り注ぐ雨つぶは そのまま滝のように流れ落ちて、下の土に並んだくぼみを作る。そこはいつも まあるい白い砂地で草もはえない。白い雨すだれの向こうから やがてやって来るカンカン照りの夏を こうして子供らは 退屈しながら 静かに待っているのかな。
 家の押入れの下の段に何が入っていたっけ。確か青いうわ薬を垂れ流したような 目の回るような模様をした 八角形ぐらいの火鉢だ。座敷で裸になって 遠く離れた半分外にある風呂おけに走りこむ許可が出るまで 待ってる間 少しでも冷えないように 火鉢のふちに両手両足を乗っけて 全身で火をおおうように まるで亀さんの炭火焼きようにして しばし暖をとっていたことを思い出す。親に見つかったら なんか言われるけどな、子供の小さなからだは そんなことも出来たんだ。 

 夜寝ていると 天井からどどどどっという ねずみの走る足音がした。爪の長い無精なやつは 板をこするような音が 調子よく混ざっている。あれー 紙ふぶきみたいになってるなーと思ってると 実際押入れの中に 生まれて間もないねずみを 見たこともある。「きたないね 捨てなさい。」これが 一も二も無い母親のことばだけど 動物を見て きたないって思ったことは あまりないな。目も開かず ピンク色のヌードな小指ぐらいのが4,5匹うごめいていたが 言われるままに川に捨てに行った。ねずみは なんでもかじるし 実害があって忌み嫌われるから そこらの草むらにほっておいてもいいんだけれど 押入れの隅を すみ家にしたのが運の尽き 確実に息の根を止められることになってる。
 ねずみは 病気の元 貧乏の証しというわけで どこからか猫がもらわれてきた。最初は 三毛猫だったと思う。三色だから三毛猫は縁起がいいと信じられていた。家にやって来た猫を まじまじと観察して 白地に茶に黒っぽいとこもある ふーん これで 確かに三色あるのか ちょっと物足りないな。 猫は元来 夜行性なのかな 家の猫は 夜通し外で遊んだかどうかわからないが 夜明けまえの 一日で一番冷え込む時間帯に わたしの寝床に入ってきた。足も拭かず体も洗わず こんなことだから ペットは嫌われる。時々お尻のまわりには タイ米のような寄生虫が 干からびかけてくっ付いていた。人間もそうだけどな 寄生虫とは 切っても切れないんだ。それでも わたしのふところの中で しっかり抱かれて温まったのだろう、気持ちよさそうにゴロゴロとのどを鳴らした。父は わたしたちを叱った。それでも 猫もわれわれも 懲りることなく、寝ている父親の枕もとを 得意の忍び足で そおっと通り過ぎて 弟とわたしの布団に なんなくやって来た。明け方の半寝の中 鼻詰まりで てこずり なんとかわたしたち はな垂れ兄弟の鼻腔の開通を 喜び祝うころになると どこへともなく猫は行ってしまった。
 猫が まだ幼い頃 糞尿をするところがいるんじゃないかということで 飯を食う部屋の上がり段の下に 砂を入れた小さな箱を置いた。時々は 砂を変えて新しいものにしてやらなくっちゃと思って 顔を近づけると 人間のものとは違うすっぱい匂いがしてた。長屋の我が家では 玄関から裏口まで土間で通じて 靴をはいたまま通り抜けが出来た。この辺の百姓屋と同じで 野良仕事をやって生計をたててるぶんには 合理的と思うけれど 土間は 元々は質の悪いコンクリで穴ぼこだらけ汚いことは汚いけどな。農作業の汚れたまんまで さっさと昼飯が食えるようにということで 長屋はそうしてあったのだろう。食堂を半分にして と言っても畳一枚半ぐらいしか残らないけど 片方を土間 もう片方を板の間にこしらえてあった。板の間は掘りごたつになってた時期もあったような気がするが めんどいし 子供がもぐって遊んで練炭中毒にならないようにと あっさりと電気ごたつにとってかわった。板の間には小さな丸いちゃぶ台があって、脚を折りたたんで いつも壁に立てかけてあった。親子5人がやっとすわれるような窮屈なところにもぐりこんで 醤油煮のまるまる太った青魚を箸でつついた。海からとっても遠いけど 鯨や魚はよく食べてたな。
 父はやさしい人だが へそまがりな面もある。めったなことでは子供を叱らないが よほど虫の居所が悪かったのだろう、父が何かおかずを取る時 父の箸の進路をわたしの手が邪魔したということでひどく怒ったことがある。「ちょっがぁ、なんしょんね。」 悲しい思い出である。母は、世間の並みの母親と同じように 口うるさくしかり 時々は大声で口汚くわたしたちをののしり 手も出した。父が機嫌の悪いときは 妙に母は優しく 母の機嫌の悪いときは、父はさらにわたしたちに 優しかった。

 あの三毛猫はあまりねずみを獲らなかったような気がする。おとなしいって言うのか 球とりやら子供の遊び相手になることが 多かった。例えば猫をどんな姿勢で放りなげても ちゃんと脚の方から着地する、けっしてどてっと ぶざまな格好で地面に落ちることは無い。これが面白かったし 柱は爪研ぎで傷だらけになってるし 爪切り 髯切り プロレスの飛行機投げ しっぽを握ってのメーリーゴーラウンド 足裏の柔らかい肉球を押して 爪をぎゅっと立ててみたりすることも 忘れず暇つぶしにやっていたな。うっ これだったら しゃ み せ ん の皮にも十分使えそうだと 後年思ったものである。
 三毛猫は 遊び疲れで死んじゃったか どっかへ行ったか忘れたが 次にどういうわけか黒い子猫がもらわれてきた。2,3ヶ月ぐらい 家に居たけど 猫好きの 知らないおばさんが引き取ることになって どこか外で遊んでいる黒を 菜の花畑に 探しに行った。黒は 知らない大人には 近づかないが 子供のわたしたちならば 近づいても本気で逃げないので 捕まえて袋に押し込んで おばさんに渡す。 こうして 猫とは一通り付き合いがある。いつか一人になって ひょっこり 野良ねこにでも めぐり逢えたら 寒い朝 抱き合い暖めあう 朝を迎えても わるくはないなぁ。

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