飴玉を拾う(1/2)                                top

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 家の中で ペットを飼うことがある。本音を言えば あまりいいことでは ないのだと思われる。理由は 不潔だから。犬にとってはとっても納得のいかない ちゃんちゃんこみたいなのを着せられて 飼い主と一緒に外へ散歩に出た後 手足をちょこちょこと形ばかり拭いてもらったにしても 外で知り合ったばい菌君たちと共に 再び座敷犬に復帰する、まぁ わんぱく盛りの子供たちとあまり変わりはないか、そう目くじらたてることもないのかな。
 掃除 洗濯 お風呂に御飯炊き どれをとっても 日常生活のほとんど全部は ばい菌君との戦いに明け暮れていると言える。きれいで衛生的な生活をするということが 人として生きるということの具体的な姿そのものを貫いている。食べ物を煮たり焼いたり お湯を沸かしたりするのは おいしくいただけて 食欲増進というよりも 殺菌という その良き効果の方が人類史的には ラッキーではなかっただろうか。昼夜をわかたず 目に見えないばい菌君との切れ目無い戦い、生物としての人間の一生は それのみといっても過言ではなく 失敗なんて許されない。
 少し暖かくなって 虫が湧く季節になりました。管理された ってか 管理されることを好む社会大衆を啓蒙しようということで 小学校では たびたび衛生教育映画があった。教室から講堂まで行くのには職員室の前を通って行く。講堂は 今の体育館のようなもので 実際雨の日は 体育の授業をやっていた。
 普段 先生たちのいる部屋は 俺たちにとっては聖域 とても怖くて 注意深く神経をとがらして取り巻き あがめていたものである。前の廊下の床板は いかにも歴史を重ねて 古くねずみ色をしていて、ところどころふしが落ちて ちいさな覗きたくも無い節穴がいっぱい出来ていた。と言っても ただの廊下じゃない、本校の名物と言うべきか、職員室の前の廊下だけは ナイロンコーティングかあるいは ワックスをかけたように つるつるぴかぴかしていて、超過剰に磨き上げられた。この廊下がまた 良く滑るのである。歳のいった女の先生が、滑って転んで足の骨を折ってしまったという事故があったくらいである。内心やった〜、なので廊下を磨き上げることは、止められない。
 高学年の折 悪名高い?職員室の廊下掃除当番が 一年に一回ぐらい回ってくると 当番に当たったものは 自宅自前で米ぬか入りの雑巾を作って 持って来させられる、ゆとりのある家はいいけどな、めんどい事だ。強制では無いと思うが みんな作って持ってくる。なんといっても職員室前の栄えある廊下だ。毎日毎週毎月毎年 先輩から後輩へ、磨きぬかれた伝統があるってもんだ、手を抜くわけにはいかない、目前に廊下の床板が鏡のようにして在るのだから。これが 在学中に 一度でも職員室前廊下掃除当番に当たった者たちの とても迷惑な栄誉である。
 2階の教室から講堂まで 児童は組ごとに列を作って移動、自然冷暖房完備なのか 北側が廊下、そこで 教室を一せいに離れる時は 列を作ってちんか順に並ぶ。「並んじゃって〜ん」級長が お願いするように 声をかける。あまり耳には入らないが 自然と紐のような 男の子の列と 女の子の列が出来る。教室を離れて 行き先の講堂というやつは いま時の体育館の造りと同じ柱は無く 窓には普通の教室の窓とは違って 映画館と同じ黒い重そうな遮光カーテンが 掛かっている。カーテンの裏は なぜか赤く 理由は今でもよくわからない、裏地はおしゃれという 発想なのかな〜。
 大戦に破れ 教育費にまわす国家予算も無い頃 児童数は軽く1000を超え 二階の教室の窓から児童が もりこぼれんばかりの勢いだった。実際 中間休みや昼休みの時 2階の窓枠を伝って外壁を渡り歩くという 無謀な遊びがはやっていた、落ちたら即死又は重症間違いなし。もっとも、今も昔も 目立ちたがり屋で 命知らずの無鉄砲なことを 仕出かす奴は絶えないとは思うけど、いじめといっしょですな。
 校舎は 校庭に面して平行に平屋の校舎が まず1棟 ずーっと数クラスつづく。建物柱は 茶黒く痩せ 歴史も古く 玄関入り口正面は びくともしないおおきな両引き戸になっていて 明り取り窓もなく おまけに 「かいずか」かなんかの立ち木が、30人ぐらいが一度にあがれそうな広〜い玄関口を取り囲んでいて 薄ぐらいままに 先につづく廊下は 学校裏のはるか向こう 給食室までつづいている、トンネルかと思ったよ。ここがメイン通りなんだろうな 土間はコンクリート製で お風呂にあるようなすのこが 要所要所に敷いてある。そこを みんなが歩くと そりあがったすのこが 床をパ〜ンパ〜ンと叩く。
 天井には 果たして電灯が付いてただろうか。自分でも 記憶が薄く、ここは理屈で納得するしかない。電気が 来てないわけないな〜 電灯など必要としない それほど教室の中は 明るかったんだ。校庭から2つ目の 平屋の棟に職員室がある。中庭には 花壇や お花畑があって 世話係の名札が差してある。四季折々 いつも何かの花が咲いてたっけ おれたちは それに気が付いていただろうか。そうして 4,50年後 白髪あたまの自分に気が付く頃になって初めてやっと あの可憐な花々に 本気で思いを馳せることができるようになった。運動場(校庭のことだけど)に面した1棟は毎年かわいい新1年生の組が 入ることになっていたようだ。教室横の 廊下に接する壁と言う壁は所狭しと靴箱が並んでいた。
 そうそう 薄暗くて高い位置にあったので思い出せなかったが 正面玄関の上がり板張りの中央に二宮金次郎のブロンズ像が建っていた。江戸時代の百姓小僧風 けなげにも薪をしょって本を読んでいる。歩きながらの本読みは 時間の節約ということか、おれら ぼんくらには ちゃんとした説明が必要である。いったい労働なのか 学問なのか 両方にしても 歩きながらの本読みは 危険すぎる。おれたちは 昼なお暗い像の台座の下を ぐるぐる回りながら かくれんぼや鬼ごっこをして 目いっぱい遊ばせてもらった。給食の後の お遊び時間は なくてはならぬ楽しみなもの 白いおにぎりに巻かれた 味付け海苔のように 学校の思い出として離せない。
 講堂の正面に 子供たちの背丈ぐらいのステージが 走り回って踊れるぐらいに、飛び降りて逃げ出すのちょうどいいぐらいの高さで広がっていた。また 芝居の時にしか使わないような 普段は開かずの扉があったように記憶している。つまり仏壇の裏側に 隠し扉をつけて外界との出入りがこっそり出来るようにしたものと 思えばいいよ。外から講堂の裏手に回ると ちょうどステージのところがドア1枚分出っ張っていたっけ、不思議ななぞが解けたようで一人喜んでた。そうたい、ハリ−ポッターのような お話の始まりは こげなところたい 普段まったく使われてない奇妙な扉。
 西洋のモノクロ映画に 一人ぽっちな人物が 小さな箱部屋で孤独な生活をしているシーンが 時々あったりする。粗末なベッドのかたわらに 糞まみれなはずの鳥かごがたれ下っており おうむとか九官鳥とか インコとかが 手品師のように 目をパチパチさせて とまっている。こうした何でもない庶民の生活でも 白人は 白衣のように白くてきれいで 上品で清潔で衛生的な生活をしている人種だなどという 勝手な思い込みが おれたちの脳みその髄にまで こびりついていた。
  講堂の外壁は 白っぽくまるで生気がなく ペンキがケーキのチョコレートの皮のように 指でめくると ポキっとはがれ落ちて、面白くて遊んでいたこともある。全校生徒は 一度には はいりきれなかっただろう、生徒の数があまりにも多すぎたから。おれは、涙の級長をやらされてた、やりたくなかったんだ〜。長く暗いトンネルを むかでの隊列を引き連れて進み、講堂に到着接岸すると、チビな私は、若い元気者の先生に いきなり軽々とかかえあげられてステージの上に放り上げ立たせられた、なんたる屈辱。気が弱かった分 何事が起こったのかその瞬間 自分が自分でなくなった。何をしたらいいのかだけが わかっていたからまだよかったよ。見えてた、見えてた、すんげ〜数の顔がこっち向いて いっぱい詰まってたな〜。しかし「気を付けー、前にならい!・・・なおれ!・・・」という わたしの掛けた号令は ひっきりなしに波打つ大波の群れに ぽちょんとしずくをたらしたようなもの、無力、もひとつ決まらないものだった。自分の張り上げる声と意味とが、かみ合わない。間がわからない、不快感を覚えていた。
 パントマイムで硬直した相棒の身体を小脇に抱えて 舞台から去っていく場面がある。あの抱えらている相棒が 子供のおれだと思えばいい。子供にも子供なりに自尊心ってものがあるんだ。自分の足で 階段を上り下りしたり 声が小さければマイクロホンを作っちゃるぜい、そうして自分の号令一下 全校生徒を 真っ直ぐな直線にならばせてみたいと思ったものである、なんちゃって。
 講堂のステージ横に ピアノと黒板があった。ピアノはグランドで だれでも暇な時にいたずらに鍵盤にさわることができる。まん中あたりの 裕福な音よりも 右端の高い気の遠くなるような遠い音とか 低い貧乏どん底の音に興味があった。行進する時とか おじぎをする時とかの伴奏に使われていたな。ピアノの脚は3本で鹿の脚のように細く 先端は小さな鉄の車輪が付いていた、車輪が小さくてかわいそかった。
  これから映画だ。使い古された 白っぽい黒板に 娯楽映画じゃないことはわかってるが 何か題目が書かれていたと思う。きのう うわさ話のようにして口コミで流れていた、「あした 勉強せんでいいげなぜぇ。映画のあるけん・・・」と なんとなく ぽっと楽しみな、嬉しくなってくる。
 いつもステージに置いてある等身大もある巨大な花瓶が 暗く見えにくくなって来た。最初の駒のほうに えらが張ってて将棋のこまのような どうしようもなく真面目な顔をした農夫が 畦に腰を掛けて お昼の弁当を食っている。頬をもぐもぐ いかにもうまそうに幸せそうに見える。ここまでは 近郷近在で見かける 極ありふれた光景です。だ〜れも見てないだろうし 横に気を使う相手もいない。身に付いた自然な癖なんだろうが、口元を下肥のかかったきたない袖でごしごしと拭くような動作をする。これがいかん、強調のため 映画はここで静止画像となった。そう、いかんいかん、子供のわたしでもよ〜くわかった。虫眼鏡でもわからない 回虫の小さな卵が口から私たちの身体に入ってくるのだ。口に 手を持っていく癖のある人は ご用心。
 まともに飯が食えない時代、農業や衛生の知識なぞろくに知らないおれたちは、たかなやキャベツの頭から人糞を ぶっかけてた。尻を拭いた紙が そのまま葉っぱの上に残っていたりする。子供は畑の周りで遊び転げ 道に落としてしまった 砂をまぶしたようなマーブル飴を ろくに砂を払うこともなく再び 口に放り込んだりする。「しもたぁ〜、もったいなか〜」
 やがて映画は 絶好調のうえっちょん 吐き気がする 気持ち悪いショッキングなシーン、人間の身体の中から 寄生虫が何十匹もとぐろを巻いて塊になって出てきた。こりゃ〜いかん こいつぁ〜全身いたるところ 虫が巣を作ってて人間の肉を食い荒らしていると 直感した。小学校に上がるか上がらないくらいだろう、母親が私の顔をのぞき込んで言っていた、「顔が青かね〜、虫のおるちゃろか」そしてカラフルな紙袋にはいった虫下しをよく 飲まされたものです。それからは 顔色のことは もう言われなくなった。約束を破るとこうなるぞというモーゼの十戒のような映画が効いたな〜。

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