糸満の自転車屋(1/3)
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  家の近くに通称、おうかんおうかんと呼んでいるまっすぐな県道があった。当時は、幅広いことは広かったけれど、ジャリを適当に敷いただけのもので・・・、もっとも 国道以外は、ちゃんと舗装された道路なんてほとんどなかった。自転車の前輪が、小石に乗り上げハンドルをとられたり、乾きあがった道をもうもうと砂煙をあげて、たまに車が走り去る。いまだにそうだが、これからもそうだろうが、ローカルな道には、歩道と車道の区別はなく、くる日もくる日も車に驚かされて、道路の端の、足元の具合の悪いところを、まえかがみに小さくなって、歯をくいしばってよく歩き続けたものである。時には野っぱらの黄色い花のように 小さな希望を持って軽やかに過ぎていったこともある。

 街へ出るおうかんの途中の四つ角の1つに、糸満君のおやじさんがやっている自転車屋があった。1キロ以上はあると思うが、おうかんは、まっすぐな道で踏み切りまで通じている。その踏み切りまでゆくちょうど中間に、糸満のおやじの物置小屋のような自転車屋があり、道路ぎわには、それ以外建物はない。道ばたと田んぼのあぜまでの 小さな空き地にむりやり建てたような みすぼらしい小屋だった。 街へ出てしまえば 気のきいた ぴかぴかの自転車屋は 何軒かあるにはあったが、いまにして思えば、いや、その当時でも糸満のそれは、ひどく貧しい自転車屋だったことか、それだけにおれなんかは、かえって親しみを持っていた。だいたい普通の店というものは、所狭しと色とりどりの形の商品が、たくさん並んでいる。糸満の自転車屋には、黒光りした自転車のフレームらしいのが、板壁の上のほうに1台吊るしてあるかないかという程度であった。あとは、工具とか自転車の部品が、土間のあちこちにころがっている。小屋の隅に畳が2枚ほど敷かれて あがり座敷になっている。もちろん小屋には、窓にガラスというようなものはない。あるのは、時代劇でよく見かけるような戸板の上側に ありあわせの蝶つがいをつけて、外へぐいっと突き出すように開けて つっかい棒で固定するという、のぞき窓のようなものが 東と北に1つづつある。確かパンクの修理代は、50円ぐらいだったと思う。あつかましい事だが、1度か2度はただでやってもらっていたかも知れない。おやじさんは、通いをやっていて そこで寝泊まりするわけじゃないからいいようなものの、電気も水道も便所もなんにもない、おうかんを通る誰もが 気にもとめない小さな糸満の自転車屋。

 当時、自転車は、このごろのマイカーのようなもので 値段が高いと言う意味ではないが 割と貴重品だったと思う、今でも十分重宝している。子供用の自転車を持ってるやつなんか、つまり じじばば両親にかまってもらえる お坊ちゃまのようなやつには、そうおめにはかかれない。年下連中の中に持ってるものがたまにいると 仲良くしたいなあという気はおきる。自分の家には、大人用の古いのが1台とやや新しいのが1台置いてあった。皮肉にも新しい方は、フレームパイプが、溶接のつなぎ目から切断していたが、ちょうど圧縮力しかかからないところなので形を,それなりに保っている。恐る恐る気にしながらまた、カタカタなる音がまわりの者に知れるのが 少し恥ずかしくてドキドキしながら乗っていた。小屋におって、糸満のおやじが稼ぐ金といったら1日何回か、あるかないかのパンクの修理代しかないだろうに、小屋の前の道端にアルミの洗面器と、靴磨き屋の小さな足のせ台くらいの作業台兼道具箱を広げて、俺たち東洋人がよくする朝鮮ずわりをして 精一杯身をかがめまっ黒な肩を前に突き出して、指先をうまく使って慣れた手つきでパンクしたタイヤをあつかう。すぐそばにつっ立って、初めから終わりまでじいっとながめていた俺は、その時 しぜんと自転車のパンク修理の手順が 頭に入ってしまった。 俺たちの指は、皮がやわらかくて、とってもゴムタイヤに はむかってたちうちできるようなもんじゃないが、おやじさんの手指は、正真正銘工具の1部で タイヤとホイールのきゅうくつなすき間に指を差し込んですべらかして チューブをあっさり引き抜いたときは、俺は、度肝を抜かされた、本当に皮が厚くて丈夫だったんだろう。 ここには、電気ぐらいは、来ていたかも知れん、電しん柱が、かどっこに立っていて黄色い電球の がい燈が、日の短い冬の夕暮れの寒空に ともっていたかも知れん。今にも飛ばされそうな がい燈の傘が、ネジがゆるんだんだろうか、風に吹かれて時折カラカラなっていた。 そういう事だから自転車屋の座敷と作業場の天じょうから 裸電球が下がっていたかもしれない、もうあんまり覚えていない。

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