糸満の自転車屋(2/3)
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畳の上のブリキの菓子箱の空きぶたに、10円銅貨が何枚か入っていた。時々銀色の50円玉が載っていることもある。 ああチキショウ・・・商売をやっている家はいいなあ、子供の欲しがる こずかいせんが、いとも簡単に手にはいるからなあ、と、うらやましかった。 ところでパンクの1回の修理代と映画館の入場料は、同じくらいだったと思う。 だからというわけでもないが、遊びながらのなりゆきで、半分肝試しのつもりでキップ切りの前をすり抜けて、ただで映画館に入っちゃろうと、糸満の息子とか仲間たち同士できめたことがある。 大きな看板の立ちならぶ映画館のおもてまでやってきたところ、度胸がまるですわっていないために、入口のあたりをいったり来たりしながら 大人の客の出入りもあんまりなく、薄暗くてよくわからない中の様子をちらちらとうかがっていた。 扉の片側は、あいていて入口にはカウンターがあって、向う側に人の頭らしいのが座っている。 中年のおばさんといった風で ひまでしょうがないはずなのに、こちらに興味を示すということもない、これならいけると自分に言い聞かせることもしていた。 こんなおれとは違って糸満には いさぎよさがあった、自分の首を折って心臓を差し出す従順な面もあり、かと思えば すばしっこく ドブ板の裏にはりついてその場をやりすごす 強じんな筋力や忍耐力もあった。金を払って入っていく客のすぐ後ろにかくれるように、その人についてきた子供であるかのようなふりをして すり抜けるのが、 一番うまいやり方かもしれない。 まっ昼間から いなかの街の映画館に出入りするような人に あまりちゃんとした人は、いない。灰色のコートですっぽり体を巻いて、ラクダのこぶのようにもりあがったえりの中に 小さないがぐり頭をおさめ、洋服の似合わない村の作男のようなのが1人、あごを突き出してキップ売り場の丸いガラスの前に近づいていった。 ああ、しょうがねえなと、少し帰りたいゆるんだ気持ちで看板の裏から まだ電気のつかないくねくね曲がったネオン管のたばを目で追った。 何の気なしにふり向くと2、3メータほど後ろにいたはずの糸満の姿が、急に見えなくなっていた。 おおっ、ガラス窓を通して、薄暗い休けい室の奥まったところ上映室へ入る スイング扉のあたりで、気のせいだろうか糸満らしい者の白い歯だけが 浜辺の貝がらのように白っぽく見えた。 映画館の前をいったり来たり おれたちとじゃれあったり糸満は,カウンターを突破するチャンスをうかがっていた。 きっと、カウンターのすぐ横をかがみこんだまま するすると中へ進入していったのだ。 そんなことをする勇気のない 取り残されたおれたちとは、そこでしばしの別れとなった。
と、いうような事もあって、ブリキの空きぶたの50円玉やらは、糸満の遊び代に化けることが多かった。 おれは、それがうらやましいと思うこともあるが、汗とあかにまみれた糸満のえり首や 誰に聞いてもみすぼらしい あの自転車屋のことを思うと、小銭なんかなくてもいいんかなあ、と考えることもある。
糸満に弟が2人いて、一番下の子は見るからに赤ちゃん顔で 身体も学校で小さいほうから1、2番だった。 おやじのこぐ自転車の後ろに乗せられて、2人が家路についている時、たまたますこし離れた田んぼ道に立っていたおれは、弟が話すかん高い声を耳にした。 「おれくさあ 小さいわりには からだ がっちりしとるやろ」 おやじの返事は、聞こえず すいすいと自転車は,通りすぎようとしていた。あたりは風がやみ 景色も薄暗くなって 通りで で会う人影は,音を頼りに行き来するようになった。田んぼの方からさあっと下の道に出て気づかれないように俺は、帰り道を急いだ。以来、糸満のおやじさんは、朝な夕なにみかけることがある。 そこいら辺をうろちょろして遊んでいる むじゃきな子供たちの顔を見るのが大好きなのだろう、仕事もせずに広場の隅にすわりこんで、俺たちがソフトボールに夢中になっているのを 黙っていつまでも見ていることもあった。 おやじさんの顔は、黒々とほり深く日本人離れをしており、肩は張り出し皮膚は油で光り背は、まるで猫のように丸い。 目は決してうつむくことなく、いつもエネルギッシュにまっすぐ前を向いていて、息子の糸満にとっては いったいどんなおやじなのか見当もつかないが、俺たち まわりにいる子供らにとっては、一見怖そうだが、まったく実害のない存在だった。 ただあの鋼のような指は、思い出すだけでもおそろしかった。