水路
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   このあたりで目にするものは、どれもこれも古めかしく、子供のおれには、よくわからない大きい施設ばかりで、長屋の住人というのは、実はこの施設で働く職員さんたちだった。施設専用の水道も出来て、風呂の水汲みの苦労からも、からだが出来て力仕事にはこれから持って来いという時期なのに、何かあっ気なく開放されてしまった。施設のはずれ、秀さんの部落と接するあたりに給水タンクがにょきっとたちあがって、そこから500メータぐらい離れた施設の反対側の長屋まで、水道がやってきた。表の、以前共同風呂があったあたりに一つ、長屋のよそのうちにも一つづつ、俺んちの台所の流しに一つ蛇口が立ち上がって、そこからビニルホースでつないで、風呂に水を入れる事が出来るようになった。

 さてだんだん暖かくなってくると、近くを流れる小川や水路に足が向いた。とんぼが、ちかちか舞う岸辺にしゃがんで、目を凝らして水の中をのぞきこむと、ざーと名前を挙げれば、どじょう、めだか、ふな、はや、たにし、かわにな、かえる、ざりがに、どんぽなどがすぐ目につき、へび、こい、かめに出っくわした時は、必ず声をあげてみんなを呼んだ。うちにある農作業用の竹網のふるいのような しょうけを持ち出してきて、見よう見まねで川をさらってみる。水がよどんで草が茂っているようなところは、だいだい決まって子供の小指ぐらいの小魚がしょうけに入り、銀色の腹を見せてぴちぴちはねている。

 割合簡単に捕まえられて、何とか食べられそうな気がする小動物の中で、実際につかまえて食ったことがあるのは、ザリガニぐらいしかないだろうと思う。小魚やザリガニは洗面器に入れて持ち帰り、にわとりにやった。地面に投げてやると、砂まみれの どんぽ なんかをつつきながら、不思議そうに首をひねって飲み込んでいた。コンクリート水路の隅っこの底の方、泥や水草がいっぱいのとことか、コンクリートに大きな深いひびがはいってしまった割れ目の、かんかん照りの日がつづいても、いつも水がたまっているような所には、びっしりと貝のタニシがくっついていた。このタニシをザリガニ取り用の餌にする。タニシは楽だが、これが手に入らない場所では仕方なく、太めでつやつやした青ガエルを追う。気持ちの悪い土色のいぼガエルは動作も鈍く、そこらにうじゃうじゃいるが怖くて手が出ないので見てみぬふりをする。やっとの思いでカエルをつかまえると、そいつをコンクリートに叩きつけてのばす。カエルは、背伸びするように激しくけいれんしすぐに死んでしまう。一匹のカエルの皮をむいたり足を引きちぎって、皆で分けたりする。内臓は、形が崩れやすいので、えさとしては、あんまり長持ちはしない。女の子とか街の子などが まざっている時は、カエルを殺したりできないので、おれたちが、喜んでおぜんだてしてやった、といっても、えさを糸の先に結べば終り。手ごろな棒などがあれば、釣りざおに仕立てることも出来た。

 それっ! ザリガニや、アメリカザリガニの声を聞くと、田んぼのはずれの夏草がおい茂った用水路に急行して、水路の交差点のような、他より水量が多く 流れのゆっくりしたような場所にしゃがみこんで、あまり考え込まずに糸をたらす。雨が少なくて水底が見えていることがあり、何匹かの姿を目にすることもある。姿が見えなくても水草とか、石とか穴ぐらとか隠れるところがあれば、そこに糸をたらして餌を持っていけば、居れば必ずえさにしがみついてくる。警戒心などはほとんど無くて、そおっと持ち上げ水中から空気中へと 環境が激変しているにもかかわらず、まだえさにしがみついたまま、ここらが虫けらの浅はかさだと思う。水から出たザリガニは、水中にいるの時のように、尻尾で水をかいての素早い後ろず去りはできなくなって、そのかわり赤い大きなはさみを持ったものは、この野郎!といった格好をしたり実際、はさんだりしてくるので、特に小さい子たちは、気を付けなくてはいけない。あまりにもどんどん釣れるので、兄貴に言われてバケツを取りに家まで走る。とうとうバケツいっぱいになってしまった。あんまりたくさん取れたので、その日初めてころも付けず油で上げ、食ってみた。後にも先にも、世間でゲテモノと言われているのを口にしたのは、はじめてだった。都市近郊の街や村に、不衛生な状態で住んでいる たくさんの人々の足元に繁殖したゲテモノは、食うべからずという掟が、皆の頭に刷り込まれている。

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