ラジオ
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   テレビがうちへやってくる前、一台のラジオあった。正座をして使う背の低い勉強机を、小学一年にあがるときに買ってもらった。四畳半の隅、白い壁に向かって座布団を敷いて、最初はきちんと座っていた。ちょうどその頭の上に棚がつくってあって、真空管式のラジオが置いてあった。アンテナのつもりか、天井近くに釘を2,3本たてて細い線をぐるぐるまきに張り渡していた。べつに聞きたい番組もないのに 机の上に上がって爪先立ちし、半分棚板にぶら下がるようにして、ラジオの中が見たいものだから、後ろからのぞけるように少しずらして、ほこりをかぶった真空管の赤い点のような光をながめていたのを思い出す。

 そのうち決まった時間に、決まった番組があるということを知るようになる。そうだなあ、日曜日の昼ごろか、また平日の五時か六時ごろだったかもしれないが、子供向けの番組で、ラジオドラマのようなものを聞いていた。天気のいい日は、家に居ることは、少ないから時間に間に合わないことがほとんどだけれど、とにかく、玄関から一目散に駆け込んで、自分の机にかけあがりラジオのスイッチを入れた。真空管式だから、スイッチを入れてもすぐには鳴らない、ぬくもるまで2,3分はかかる。ダイアル合わせで、目当ての放送局を探すときは、つまみを注意深くゆっくり回して、音を聞かなければならない。うまい具合に選局ができ、一番いい状態になると、ラジオの左上にある十円玉ぐらいの、すけたブラウン管に変化が現れ、何かもやもやっとした状態から一本線が走ったような、すきっとした光の姿になる。これで音が、悪いなら諦めるしかない。こうして新一年のためのぴかぴかの勉強机は、勉強のためというよりもラジオに触るためのようなものになった。

 それでも勉強しなければならないという気持ちは、子供心にちゃんと芽ばえていた。学校の勉強っていうやつは、それができる者にとっては、立派な優越感になる。勉強のできない奴にとっては、学校が、そして毎日が憂鬱なものになることは、あたりまえ。これはうそだ、悪夢に違いないと、現実を受け入れるのをこばみながら、おれたちはどうにもならない学校生活を続けるしかない。

 子供向けのラジオドラマは、題名もなかみも、何がどう魅力的だったのか、後から振り返っても自分にはよくわからない。想像をかきたてながら、自分がドラマの主人公にでもなったかのような気分を味わうことができるからだろうか。
 漫才・喜劇役者花菱あちゃこの、確か「おとうさんはお人よし」だろうか、この放送は、劇中の人々の日常の生活が、子供なりに想像することができて面白かった。そこは、古くからの商人町風の家々が、白っぽい砂ぼこりのする通りをはさんで集まっていて、格子窓が並んだすすけた壁が、ずうっとつづいている。家の柱などは、みな黒く家具もじみで何の飾りも無く、薄暗い板の間や土間を避けて、人々は窓ぎはの明るいところに集まり、終始、人の良いおとうさんの話題で明るく談笑し、その場に居合わせていないことで、人は皆、言いたい放題だ。主人であるおとうさんの頭は、真空管が他のみんなより一本不足していて、何に対しても焦点がぼけており、かみさんはと言えば、誰もがあまり行きたがらない、寒そうな薄暗い家の奥へ、忙しそうに行ったり来たりして、みんなにタイミング良くお茶をすすめたり、残り少ないみかんをみんなの前へ持ち出したり、座布団を運んだり、せっせせっせとまめに体を動かしている。
 部屋の仕切りは、たいていふすまか障子で、家族といえどもよほどのことが無い限り、目をみて話すことは無いだろう、話は楽しげに踊っている。買い物は、歩いてすませることができ、マイカーは無く自転車は、郵便局とか駅で切符の前売り券を買うときとか、半公用の用事などに限る。自分ちは、商店街のまん中にあるにもかかわらず、商売は何もしておらず、到って便利でにぎやかなところに住んでいる。おれからみれば、ラジオドラマのお人良しなおとうさんは、お人良しでもなんでもない、ただちょっとだけ口数の多い普通の父親でした。

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